芸術家の作品と人格は必ずしも比例はしない

持論であるが、作品の出来とその作者の人格というのは決して比例されるものではないと思っている。例え人格が10人中10人が非難するようなものだとしても、それで、その作品の素晴らしさというのは決して色あせるものではないのではなかろうか。
例えば、大音楽家であるモーツァルトが正確に難があったというのは音楽にたずざわったことのある人ならば誰もが一度は聞いてことがあるだろう。偉大な芸術家というのは調べればいくらかの難点というのは見つかるものだ。
例えば、日本の文豪にしてもそうである。私は太宰治や芥川龍之介を好んで読むし、彼らの才能にあこがれもする。しかし、私生活において彼らのようにはなりたいとは思えないのだ。日本の文豪は問題児だという風に書いた本を見たこともある。先に述べた音楽家に関して、テレビで碌な人間がいないといっているのを聞いたことがあるし、画家に関しても同様だろう。
そもそも、芸術というのは人に共感されてこそ認められるものだ。理論もあるのかもしれないが、感情に訴える部分は大きい。そして、人間というのは欠けたところが多い不完全な生き物だ。不完全な生き物の共感を得るためには、そして、常人とは異なった作品を生み出すためには、ある程度はずれていたほうがいいのかもしれない。そういう人たちはまた別の視線を持っていることも多いからだ。
時折、アーティストや芸能人の不祥事がニュースで話題になる。不祥事は問題だと思うし、それを認めるつもりはない。しかし、だからといってその作品が悪いということには決してならないと思うのだ。作者の人格が問題だからと、その作品まで嫌いになるのはとてももったいないことだと思う。キレイモ 効果